主宰ご挨拶

太宰治が書く作品の多くが、共感の文学、共感の作品と言われます。どこか自分と通じるものを感じやすい、どこか自分に投げかけられていると思わせる、本当に太宰の作品はその部分が多く、だからこそ今の時代になっても古く感じることなく、生き生きとしたものとして読むことができるのではないか。そんな風に思うのです。

この「人間失格」という小説を初めてボクが読んだのは中学生の頃でした。何か読もうと入った本屋で、たまたま目にした、薄くて、安価な、かつその題名、太宰という作家は、どこか格好いいとも感じられ、そんなこんなで気軽にその文庫本を手に取った記憶があります・―――で、読んでみて「えらいモノを読んでしまった」というのが、正直な感想でもあるのですが(苦笑

えらいモノを読んでしまった。本当にそんな思いでした。思春期に読んではいけないモノを読んだ。そんな気持ちで一杯で、それこそボクは読んだ日、ご飯も喉を通らず、夜も1人、ベッドの中で変な胸騒ぎを感じながら、寝つけずにいた記憶が残っています。―――そう、それこそ「これはボクのことだ」どこか他人のはずの太宰に、見抜かれたような気持ちになったものです。

それから20年ちょっと。ボクは、どこか「人間失格」のような人生を送ってきて、でも、まったく同じというわけでもなくて、けど、やっぱりどこか同じで。そんな変な伴走者といるような気持ちを持ちながら、36歳という年齢を迎えてしまいました。太宰が好きで、貪るように太宰を読んで、私生活では結婚もして、離婚もして、病気も患って、煙草はやめられなくて、そんなです。

本番も直前になった稽古で、いや正しくは稽古後に話したことなのですが、「今回のボクは、この葉蔵を演じるということに、どんな意味を感じているのか」そんな話を、出演者のみんなとしました。その中で、ボクは葉蔵という主人公について、言い方は変ですがどう観えていいものだと思っていて、ご覧いただく方一人一人がいろんな葉蔵を感じてくれればいいかなと思うと話しました。

救いようのないどうしようもない男の話と思う方もいらっしゃると思いますし、葉蔵をかわいそうだと思ってしまう人もいるかもしれません。こういう男はダメだと思うんだけど、けど嫌いになれないなんていう「人間失格」の愛読者も、ウチのスタッフさんにいたりして、それこそ小説を読んで感じる感性だけでも、画一化されたものでないからこそ、芝居にしても、どう観られてもありと思うのです。

世の中には、いろんな芝居があって、その芝居には流行り廃りがあって、だからこそいろんな劇団も、ユニットも、プロデュース団体もあるわけで。で、ボクは自分の創るもの、今回であれば太宰を選択して、かつ太宰をこうすることに、流行だとか、ダサいとか、野暮ったいとか、そういうものではなくて、ひたすらに信じて生きるだけなんだろうなと思っています。

つまるところ、正解なんてものはなくて。ただ自分が演りたいもの、創りたいものだけがそこには存在しているんだと思うのです。毎回「CHAN'Tらしい」というありがたいお言葉をおっしゃっていただけるお客様がいらっしゃいます。その「らしさ」こそ、自分が生きている証であり、さらにはちょっとだけ残せた爪痕なのかなと思うのです。

おかげさまで第20回公演となりました。愛する太宰を、素晴らしい仲間とできることに感謝。そして、本日はご来場誠にありがとうございます。狭い客席でご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありません。ぜひ、最後までごゆっくりお楽しみください。では、

劇団CHAN’T主宰 佐藤 武

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